式内 知乃神社
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概 要
社 号 式内社 丹波国氷上郡 知乃神社
読み:古 チノノ、現 ちの
所在地 兵庫県丹波市市島町南592
旧地名 丹波国氷上郡
御祭神 知奴王命
例祭日 9月1日
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
丹波国(タンバ):71座(大5座・小66座)
氷上郡(ヒカミ):17座(並小)
近代社格制度 旧村社
創建 白鳳13年(662)
本殿様式 流造 鉄板葺
境内摂社(祭神) 八幡神社
一口メモ
JR市島駅(兵庫)の南から、国道175号線を北東に500 m進む。
市島支所前(交差点) を右折して県道59号線 に入る。
1.0 km進み、 南地区へ斜め右に折れる。
750 mでやや左折して78 m左にある。
歴史・由緒等
南方約5Kmの妙高山山頂に神池寺がある。その境内に「澄まずの池」と稱する周囲10mほどの池が現存し、寺伝によると手傷を負つた大蛇が暴れ廻つた伝わる。その大蛇が当村に逃れ來て、社地の池で血を洗つた、と伝承される。この「血の池」から社名が起ったとする。
「延喜式神社の調査」さん
さて、これといった資料がないので想像にすぎないが、知奴王命は「ちぬ・ちのきみ」としているが、王とあるから皇族(王族)であり、この地の豪族(国津神)ではなさそうな気がしている。「知」は「智」の新しい代用字なので、知奴王は智奴王であるなら、茅渟皇子や智奴王とも書かれた茅渟王ではないだろうか?
茅渟王(ちぬのおおきみ・ちぬのみこ、生没年不詳)は、6世紀後半から7世紀にかけての日本の皇族(王族)。押坂彦人大兄皇子(敏達天皇の皇子)の王子で、母は漢王の妹・大俣王(おおまたのみこ)。舒明天皇の異母兄に当たる。桜井皇子(欽明天皇の皇子)の女・吉備姫王(吉備島皇祖母命)を妃とし、宝女王(皇極天皇・斉明天皇)と軽王(孝徳天皇)を儲けた。茅渟皇子、智奴王とも。
系譜記事に名が現われるのみで、事績は全く不明である。
白鳳13年(662)春大錦下羽田失岡創立
天武天皇12年敏達天皇第二皇子知奴王を祀って創立
康安元年(1361)兵火焼失
応永6年(1399)10月將軍足利義持造営
慶長18年(1613)後水尾天皇勅額を下し賜う
明治6年10月村社
昭和5年10月17日神饌幣帛料供進神社指定
移転の記録はない
境内・社叢
鳥居
手水舎 拝殿
本殿
本殿脇 境内社
本殿奥 境内社 稲荷社 社務所か区の集会所だったのだろう。立派な建物だ。
参道左側に狛犬がある。遷座前の古社地か?
地名・地誌
地 図
交通アクセス・周辺情報
参 考
『延喜式の調査』さん、他
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